レシピの話
フランス地方料理を巡る旅
【マルディグラの伝統菓子】
今月は「マルディ・グラ」にリヨンで食べられる「ビューニュ」をご紹介します。キリスト教で最も大切とされる「復活祭(Pâque)」。この日から数えて47日前にあたるのが「マルディ・グラ」で、この日に「カーニバル」(フランス語だとカルナヴァル:Carnaval)が行われ、ねぶた祭のような趣向を凝らした山車や仮面や着飾った衣装を着けた人たちがパレードをしたり、踊り歌って祝うお祭りが行われます。そして翌日から始まる「四旬節」という40日間に突入します。この間、かつて人々は一日一食だけの禁食期間を過ごし、今で言うヴィーガン生活!(肉・魚・チーズ・バターなど全ての動物性由来食品を食べるのを禁じていた)を求められました。カーニバルはその前に栄養をつけ、動物性食材を食べつくし、栄養を蓄えておこうという「前夜祭」的イベントだったのです。「ビューニュ」もそんな中で生まれました。
「ビューニュ」は「マルディ・グラ」の日だけでなく、1月のガレッド・デ・ロワと入れ替わるようにパン屋などの店先に並び、3月中頃まで買うことができます。フランスに住んでいた頃、ブルゴーニュでは「ファンタジー」という名前で売られていて、フランスの家庭でもこの時期よく作られていました。美味しいのに、この時期しか食べられないのがとても残念でした・・・。オレンジが香るこのお菓子を食べるとカーニバルやこの季節のことを思い出します。
またフランスだけでなく、世界各地で名前やレシピを変え同様のお菓子が伝わっています。
「四旬節」は食べ物が尽きてしまう厳しい冬を乗り切るため、節食して春を待つためだったとか、「カーニバル」は太陽が姿を消す冬は死者の霊や悪霊が襲ってくると考えられ、それをお面や歌や踊りで追い払るためだったなどなど、古い文化がうまくキリスト教文化に取り込まれて現代に伝わっているのですね。
~ 第1章 ~
レシピの話
<材料>(4人前)
-
ビューニュ
- 薄力粉:230g
- グラニュー糖:50g
- バター:40g
- 塩:2g
- ベーキングパウダー:5g
- 卵:2個分
- オレンジの皮(ラペ※1):1個分
- (仕上げ)粉糖:適量
- 牛乳:250ml
- 砂糖:50g
- バター:60g
- 薄力粉:150g
- 卵:2個
- 塩:少々
- レモンの皮(ラべ):少々
- (揚げ用)サラダ油まはたピーナツ油:適量
ペ・ド・ノンヌ
※1・・・ラペ(râper)おろし金でおろす
作り方
ビューニュ- 全ての材料をフードプロセッサーに入れ混ぜる。
- 生地をまとめて練る。ラップに包んで1時間程生地を冷蔵庫で休ませる。
- 生地を1mm厚にのばす。
- 斜め菱形にカットし、真ん中ん切込みを入れ、端の部分をねじりこむ。
- 油でこんがりと揚げる。揚がったら粉糖をふる。
▲ビューニュ Bugnes Lyonnaise
ペ・ド・ノンヌ
- まずシュー生地を作り、絞り袋(口金1cm)に入れる。
- 生地を少しずつ絞り出しながらナイフを使い1cm程に切り、揚げ油の中に落としていく。
- こんがりと揚げる。揚がったら粉糖をふる。
▲フランシュ・コンテ地方の「ペ・ド・ノンヌ(Pets de nonnes)」は訳すと「尼さんのおなら」
レシピの説明&エピソード
マルディグラとビューニュの関係
今回は「マルディ グラ( Mardi gras)」がテーマです。直訳すると「肉の火曜日」、「脂の火曜日」、「太っちょ火曜日」といったところでしょうか。このマルディグラは全世界に13億人以上の信徒がいると言われるキリスト教最大の教派「カトリック協会」の四旬節という復活祭の40日前の水曜日(灰の水曜日)から復活
▲ヴェネチアのカーニバル
祭 (「復活祭のパテ ベリー風」に説明あり)の前日(聖土曜日)までの期間の前に行われる祝賀行事「謝肉祭(Carnaval)」の最終日のことです。大変ややっこしいですよね。さらに説明も下手ですいません・・・。どちらかというと現代は「様々な仮装をして開かれるお祭り=カルナヴァル(カーニバル)」と言った方が我々日本人にはイメージしやすいかもしれません。皆さんご存じのブラジルの「リオのカーニバル」やイタリアの「ベネツィアのカーニバル」、フランス「ニースのカーニバル」等が世界的に有名で、観光行事的な意味合いも大変強くなっていますが、元々は宗教行事なのです。ちなみに2023年は2月21日が「マルディグラ」となっています。
カトリック教会では日曜日を除いた「マルディグラ」の翌日から復活祭までの40日間(四旬節)、人々は「1日1回だけの食事」や「肉や卵、乳製品は食べてはいけない」という決まりがあったので、この節食が始まる前にご馳走をたらふく食べ、そしてもっとエネルギーを蓄えるためデザートもカロリーたっぷりの揚げ菓子に砂糖をたくさんまぶしたものを食べていたそうです。その中で最も知られている「揚げ菓子」が今回ご紹介する「Bugnes Lyonnaise(ビューニュ・リヨネーズ)」です。その起源は古代ローマ時代からといわれ、文献的に見ても既に16世紀頃にはリヨンにあったサン=ピエール修道院で作られていたとされています。
フランス各地で変わる名前や形
現在、リヨンのビューニュはオレンジ花の水やコニャック、ラム酒、レモンの皮で香り付けした生地を揚げて作られていますが、生地はイースト発酵生地であったり、ベーキングパウダーで膨らませる生地であったり様々で、形も長方形、菱形、結びなどいろいろあります。今回の形や配合は私が「Loué(ルエ)」のレストランにいた時に数日間ミニャルディーズ(食後のコーヒーと共に出す小菓子)として出していたものをベースとしました。香りはオレンジの皮とラム酒です。初めて見た時は「何これ?いつものと違うじゃん!ドーナッツじゃん!」と思いましたが、揚げたてを食べてみると味わいは素朴で、日本人の私でも何か懐かしさを感じるような風味でした。「うーん。美味しい!」。
パティシエから「マルディ グラ」という言葉をそこで初めて聞き、その説明も私が理解できるるように噛み砕いてしてくれました。それから数日間、味見と称してよくつまんでいました。もちろんパティシエの許可を得てから・・・。
この「ビューニュ」リヨンでは同じ名前なのですが、薄くカリカリしたタイプと今回ご紹介するドーナッツのように膨らんだタイプの2種類があるそうで、でもどちらかというと主流はパリパリとしたタイプの方だよと在仏時リヨンに住んでいたFFCCのスタッフが教えてくれました。この美食の都リヨンのお話はまたどこかで書きます。
▲こちらはリヨンのものではありませんが、フリル状になった別の地域のカリカリタイプ。リヨンは真っ平なタイプの薄いカリカリタイプ
リヨンの他にもフランスの南部やイタリアで「ビューニュ」と同じような意味で揚げ菓子を食べる伝統が残っていますが、名前が変わります。例えばランドック地方では「オレイエット(Oreillettes)」、ペリゴール地方では「メルヴェイユ(Merveilles)」、イタリアでは主に「キアッケレ(Chiacchiere)」といった感じです。
追加でもう1品。今回ご紹介しているもう一つのレシピで、「Loué(ルエ)」のときのパティシエとの話のなかで「ペ・ド・ノンヌ(Pets de nonnes)」という揚げ菓子の名前もあがっていました。直訳すると「尼さんのおなら」。面白いですね。フランシュ・コンテ地方のお菓子で、同じく「マルディ グラ」で食べられるそうです。少しかためのシュー生地を揚げて、「ビューニュ」と同様にたっりの粉糖をふっていただきます。これも素朴で美味しいんです。
フランスで出会ったルコントさん
ここでお菓子といえば、忘れられないエピソードがひとつあります。以前「Biscuits roses de Reims /ビスキュイ・ローズ・ド・ランス」のページに少しだけ書いたお話の続きです。是非、そちらを参照してから読んでみてください。
フランスの一軒目のレストランでシェフに頼み込んで1週間だけパティシエのポジションをやらさせてもらっていたときのこと。一人で(もう一人のベテランのシェフ・パティシエは仕込み作業で手一杯。あと二人はお休み)デセールの盛り付けに奮闘していたところ、シェフ・ソムリエにその皿を盛ったら、すぐ客席に来るようにウインクしながら言われました。着ているコックコートとタブリエは、フランボワーズの果汁で「マイヨー・ア・ポワ※2状態」です。
急いで盛り付けを終わらせて客席に出ました。「こんな素敵な空間でみんな食事してんだなあ!」と思いながら、シェフ・ソムリエが手招きするターブル※3に向かいます。「こんにちは!」と日本語で挨拶されました。久しぶりに聞く母国語に涙がでそうです。というか泣いてました。「あれ、でもフランス人じゃん!(心の中の声)」不思議な感覚。
「こんにちは!ルコントです。」握手されました。とっさのことで理解不可能・・・。数秒かけて、ようやく「日本で有名なパティシエのルコントさんだ。」と理解・整理できました。隣にはお上品な日本人の奥様もいらっしゃってと、周りもだんだん見え始めてきました。ルコントさんがそのレストランの近くの街モンタルジ出身だということ。フランスに帰ってきたら必ずそのレストランで食事をするということ等など。本当に短い時間でしたが色々とお話をしていただきました。「こんな他に何もない田舎のレストランに日本人の若者が働いているなんてびっくりしたよ。頑張ってね。日本に帰ってきたら遊びにおいで。」奥様からも「くじけないで、体に気を付けて頑張ってね。」と。
残念ながらルコントさんはもうお亡くなりになり、お店も閉店されましたが、初めての外国、最初のお店で、右も左もわからず、ただただ毎日必死に食らいついて働き、精神的にちょっとノイローゼ気味だった当時の私に、とても優しい声の日本語で話しかけてくれたお二人。今でも「ありがたかったなぁ。」と思っています。神様に見えましたもん。後光がさして。本当に心が救われた出来事でした。(シェフM.T)
▲シャルキュトリー講習会の講師で来日したMOFのGilles GIROUD氏が講習会の合間に作ってくれたビューニュ。カーニバルの時期にはオーベルニュ=ローヌ=アルプ地方で営む自身のシャルキュトリー店でも販売するそう。