活動の軌跡
開催報告
11月9日、パレスホテル東京にて「クープ・ジョルジュ・バティスト」サービス世界コンクール東京大会記念ガラディナーが開催され、約440名のお客さまが参加した。CGB世界コンクール東京大会実行委員会の磯村尚徳総裁、クープ・ジョルジュ・バティスト協会フランク・ランギーユ会長の挨拶にはじまり、コンクールのために来日した選手たちの各国大使の臨席のもと、来賓ホスト国代表観光庁次長志村格さま、来賓参加国代表としてフランス共和国在日フランス大使館公使フランソワ=グザビエ・レジェさまに挨拶を頂いた。
今回のディナーの料理を担当するために来日した『ラ・ピラミッド』パトリック・アンリルーシェフ、『レストランレジス・エ・ジャック・マルコン』レジス・マルコンシェフによる、CGB世界コンクール開催のお祝いの言葉とともに「ペリエジュエグランブリュット」で乾杯が掲げられ、ディナーの幕開けとなった。
また、ハンス・ディートマール・シュヴァイスグート駐日欧州連合大使より、ヨーロッパ杯優勝のデンマーク代表クリスティナ・ベングッドソン(学生部門)、セーレン・オルベック・レデット(プロ部門)両氏へ祝辞の言葉を頂き、世界コンクール優勝者のクリスティナ・ベングッドソン氏、宮崎辰さん(プロ部門)へ小倉和夫元駐日フランス大使夫人の小倉典子さまより花束が贈呈され、受賞者の2人が優勝の喜びを語った。
440名のお客さまに対し、おもてなしを担当するサービス陣は約200名、調理スタッフ100名を数えた。サービスはCGBコンクール参加国の学生・プロ選手、「メートル・ド・セルヴィスの会」「全日本メートル・ド・テル連盟」「日本ソムリエ協会」をはじめ、全国から駆けつけたプロのサービスパーソンと専門学校の学生生徒の皆さんという、国籍、年齢とも幅広い顔ぶれが揃った。料理はアンリルーシェフ、マルコンシェフと共に「パレスホテル東京」斉藤正敏シェフが指揮をとり、FFCC料理コンクール優勝者の会「アヴァンセの会」ほか、日本中からシェフたちが集結した。
ビレロイ・ボッホ特製のファッションプレートがセットされた華やかな食卓は、ディナーにふさわしいテーブルセッティングであり、ショープレートがひかれ、晩餐がはじまった。
「帆立貝のショー・フロワエピスの香り季節野菜の自家製ピクルス」、「グルヌイユのフリット キュルキュマのエミュルジョン」はイギリス式サービスを交えて供され、「平目のファルシジュ・ド・オマールでラケして根セロリとアーティチョークのプレッセ」は、一匹丸ごとの平目の身に詰め物をし、オマール海老のソースをナペして照りを出した料理で、各テーブル前でメートルたちがデクパージュでサービスをした。1950年代、60年代のレストランではほとんどの料理がアンチエ(丸ごと)で提供されていた。1970年、ヌーベル・キュイジーヌが全盛となり、皿盛サービスが普及した。続いて「シャラン産鴨を2種類の調理法でセップのプラリネビーツのカネロニオレンジ風味の栗カボシャのムスリーヌ」は皿盛りをクロッシュサービスで。ヌーベル・キュイジーヌ以降に隆盛した華やかなサービス方法である。
デザート「スパイスをきかせた洋梨のフランベマスネポワール・ウィリアムス」は華麗なフランバージュが行われた。「純白のピアノ・ショコラ"スタインウェイ"グリオッティーヌのソルベを添えて」はパレスホテルのロビーにあるスタインウェイをモチーフに、「クラウンレストラン」で技術顧問をつとめるアンリルーシェフがこのディナーのために考案したデザート。食後はホワイエでネスプレッソコーヒーがサービスされた。
パトリックシェフ、マルコンシェフは当大会の成功を祈り、ボランティアで今回のディナー担当を快諾してくれた。常日頃よりレストランのホスピタリティを重要視し、フランス本国のみならず世界に向けてサービスの重要性を訴求しているシェフたちである。
最後に、「現代のアンフィトリオンたち」として活躍した皆さんを壇上にて紹介、シェフとサービスとの二人三脚で顧客の幸せな時間を作り上げる、もてなしの影役者たちが壇上に勢ぞろいし、閉会となった。